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雲澤寺について

むか~し、むかし、その昔…
半田の亀崎にある淨顯寺さんに三河の地から
蓮如上人がやって来られました。

そして蓮如上人は親鸞聖人の教え
お念仏の教えをお話され
噂を聞きつけた多くの方々が
あちらこちらから蓮如上人のお話(仏法)を
聞きに来られました。
そのご縁で北新居(今の協和町付近)の人々も仏法を
聞く場を作ろうと思い
その当時聖徳太子を祀っていた
太子堂を浄土真宗へ転派し
1505年に現在の地で開基
了道(りょうどう)のもと「雲澤寺」という
お寺が始まりました。

当時の人々は信仰に厚かったのだと思います。
500年以上前の出来事ではありますが
有縁の方々の恩に報いるため
また地域のお寺として
お念仏(南無阿弥陀仏)の教えを大切にしてます。

親鸞聖人のご生涯

浄土真宗を開いた宗祖親鸞聖人は1173(承案3)年に京都でお生まれになり、鎌倉時代を生きられました。9歳で出家得度し、比叡山で修行を務めるも苦しみ悩みをのりこえる道を見つけることはできませんでした。29歳、比叡山を下りて法然上人に出会われ「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という教えをいただかれました。35歳、念仏禁止令により、法然上人は土佐(高知県)、親鸞聖人は越後(新潟)へ流罪となりました。恵心尼公と結婚された親鸞聖人は、厳しい生活の中でもお念仏の教えを忘れることはありませんでした。5年後、流罪が許されましたが、法然上人の死を知ると、京都には戻らず家族と共に関東へ移られ、約20年にわたりお念仏の教えを広めました。60歳を過ぎてから京都へ戻られ、『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』を書き上げました。1262(弘長2)年11月28日、親鸞聖人は90歳のご生涯を終えられました。

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念仏とは

お念仏は呪文ではありません。
お念仏を称えるということは、私たちの能力や善悪によらず、すべてのものを救おうとする仏さまの大悲心の表れなのです。
「生まれてきたことの本当の意味や喜びに気づいてほしい」と願いを込めて、南無阿弥陀仏と、今、現に呼びかけ続けておられるのです。
しかし、私たちはなかなか気がつきません。お念仏を称えても、すぐに自身の「我」というやつが出てきますから、阿弥陀さんが、「また思い上がっているぞ」、「自分を見失っているぞ」…と、南無阿弥陀仏となって自分の口を通して注意してくださっているのです。

南無阿弥陀仏は、いきいきと生きることのできるお浄土という世界に、目覚めさせようとはたらいてくださっている、阿弥陀如来から私への目覚ましの言葉です。 お浄土の教えは、あの世の話でありません。あの世に行ってからのことではなくて、この世を生ききっていくための教えなのです。この世が濁っているからこそ教えがいるのです。大事なものが見えにくいからこそ、この教えが必要なのです。

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。

『歎異抄』(『真宗聖典』六三四頁)

テレビから凶悪犯罪のニュースが流れた。「困ったもんだ」と皆が言ったとき、ある先生は「ちょっと条件の違った私の姿です」とおっしゃった。縁があれば私も同じこ とをしていたかもしれないと。今までどれだけ良いことを積み重ねてきたとしても、縁があれば、自分が何をしでかすかわからない。人間の存在というものは、私の思いだけで動いていくものではない。多くの縁の中にあってこの私が生かされている。善悪ともにすべてのことは縁によるということが仏教の大きな認識です。

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